この文書を書きはじめたときはガンダムSEED放映中であって私は毎週非常に楽しみに見ていた。叩かれるだろうところは多いだろうとは思うがそれ以上に魅力のほうが大きいのである。
とりあえず私が生まれたときには既にファーストガンダムの放映は終わっていたし、ΖやΖΖなども生では見ていない。
思うに私の年代では、一番多いのは小学校のときにコミックボンボンとか見てSDガンダムとかナイトガンダムとか武者ガンダムで知った、ってのではないだろうか。
当時はファミコンゲームなどでSDガンダムはかなり利用されていて、いろいろ遊んだ気がするがまともなのはなかった気もするがそれなりに楽しく遊んでいたのは若さゆえの過ちというもの…というわけではない。
個人的に最初にまじめに遊んだガンダム入りゲームはバトルドッジボールであると思う。全然ガンダムゲーって感じはしないが。使ってたチームは(足の速い)ウルトラマンだし。
かなりはまり、今でも十分及第点だと思われるゲームはファミコン「ナイトガンダム物語」とゲームボーイ「ラクロアンヒーローズ」。どちらもバランス上々のいいRPG。何で最初だけなんだー。
何といっても本格的に元ねたと関わったのは、なぜかカナダ滞在中に5週間もかかってクリアした「第3次スーパーロボット大戦」。当時シミュレーションゲームが下手だった上に攻略本等なしでやったわけで異常に苦労した覚えが。ゲッターロボが変形利用して3人分の精神コマンドが使えるとかゲッター2やF91は分身できる、とか全く知らずにやってたからガンダム系のユニットしかまともに使えなかったからな。ついでに当時は邪悪な戦い方を身につけていなかった。リセットしまくったなあ。
そのときついでになぜか中国語字幕で「ポケットの中の戦争」を見た。あんまり面白いと思わなかった(ぉ。覚えていないので書かない。
一言でいえばカナダ在住いとこの兄のほうがガンオタだから見たってやつだ。日本語ほとんどできないくせに。「日本のお土産何がほしい?」「マスターガンダムとゴッドガンダムのマスターグレードのプラモ」。ちなみにハイグレードしかない。
日本に帰ってから第4次を買い無事クリア。このあたりでだいたい設定等つかんだのでビデオでファーストの映画*3を見たりする。
折りしもエヴァのおかげでアニメが盛り上がっているときであったので、一緒にWを見る感じ。
そのころ第2次Gなんかもやった。VとかGとか初登場らしい、というかGの話は何となく分かったがVはさっぱり。とりあえずVに出てくるキャラがファーストに負けず劣らずうざい、ということは分かった。
逆襲のシャアもこのあたりで見たはず。
まあしばらくアニメに縁なしで∀なぞは見る気が起きずスルー。だいたい一応受験生だ(笑)
スパロボFをちょっとやり、ひさびさになじむ。途中で疲れたから止めたが弟がクリアしてたな。
大学入り暇になりΖ全部とEndless Waltz特別編(劇場版)を見る。
GBAのスパロボAとRが非常にできがよろしく2周め以降にゲームが楽になるボーナスがあるのでどちらも5、6周してしまったりするわけだがやはりある程度知識は身に付けんと、とのつもりで0083の映画を見る。映画だととりあえず短時間でつかめるからよいね。ゲームで登場人物と基本的イベントを押さえてあるとさらに話は早い。
そしてSEED。前評判悪かったねー、一部筋で。ガンオタのセンスなど私の知ったこっちゃないというのはどうやら今までの視聴経験でそれなりにつかんでいたので設定がよさげだったこともありそこそこ期待していた。思いっきりはまる(ぉぃ)。深読みし放題だしテーマは現代的に興味深いし人間関係ぐちゃぐちゃだし主人公のキラ以外皆キャラに魅力があるし。
ずっと心に引っかかっていたのを思い出した。スペースコロニーをアニメで最初に見たときそれほど激しい衝撃を受けずに科学的設定を理解していたのは、保育園→小学校の頃読みまくった学研ひみつシリーズ「スペースシャトルのひみつ」でオニール型コロニーを非常に詳しく解説していたからだ。SEEDのプラント以外のガンダムシリーズのコロニーって基本的に全てオニール型だしね。
んでは個別に思うことを
有名なセリフはいっぱいだし話の作り方自体も(当時としては)画期的だっただろうことはよく分かるのだがいかんせん映像が古すぎる。ついでに主人公が見ててむかつく。まあ、話自体の基本はたいへんよいので確かに絶賛すべきものであるとは言えよう(ホワイトベースの航路がおかしすぎる、とか軍事的に納得いかない、とかは無視しよう)。それにしてもニュータイプって何やねん、と思ったりする。あまりにも万能すぎるというか何というか。はっきり言えば姑息なごまかし。蛇足。映画だとまともには3にしかでてこないしな。いかにも終わらせるための方便。ニュータイプだからどうこう、っていう問題は特にないしなあ。
コロニーに穴があくのをガム風船でふさぐのがちょっと面白い(Ζではなぜか退化してコロニー自体の装備としてはなくなっている)。ていうか他は科学的軍事的に突っ込みいれようと思うといやになるくらいなのでまあいいや。まあ、アニメだしねー、演出的に面白ければ問題はない。いまだによく聞かれるガンダム節というか名言迷言の類が極めて多い。ただし、単発で現れるセリフしかないので他の場所にももって行きやすい(=ネタにしやすい)が物語上での必然性は薄い。言い換えれば、伏線のおかげで生きている台詞ではない。構成燃え/萌えの私としてはそんなにうれしくない。
実はガンダムはフリーダムやストライクなんかよりスーパーロボット的強さがありすぎる気がしなくもない。ジオン軍のほぼすべての新鋭機・実験機を圧倒的強さで片付けてるからな。
世の人は、ミノフスキー粒子・AMBACその他ほぼ全てのSF設定は後付けだということを理解してから称えてほしい。
序盤のちょっとキチガイ入ってるリリーナ様がステキである。「私はリリーナ・ドーリアン。あなたは?」「彼は星の王子さま?」「早く私を殺しにいらっしゃ〜い」「バラの花がちっとも似合っていない」
見るのが飛ばし飛ばしだった上に序盤はくるくる話が回り、後半は誰と誰が戦ってんだみたいな感じで、微妙によく分からぬまま終了。ヒイロとウィングゼロの無敵っぷりとかが見所だったのだろうか。こちらは主人公以下魅力的なキャラが多くて見てていらいらしないのがよかった。やおいだー、と叩く人は叩くためにわざわざ自分からそういう目線で見ているからだろう?と思ったり思わなかったり。
見返してみると主人公がトレーズのような気がしてくる。変態っぽいがエレガントである。
いわゆるガンダム節ではないが印象に残るセリフが多いってのが魅力の一部かも。あ、「お前を殺す」を忘れてた。
ヒイロはスーパーマンに過ぎるが(まあそれがいいのだが)めでたくニュータイプなる妙なものが出ない…と見せかけてなぜか漫画版(画:ときた洸一)でゼクスがニュータイプ呼ばわりされている。謎。
関係ないがCATVでWが流れていたとき台湾人が「おおTWO-MIXだ」という反応をしたのにちょっと驚くというかやっぱり売れてるのねあれ、と思った次第。アニソンアニソンしていない普通のよいJ-POP的曲だしな。
シャアは何か俗化しているしやたらと人が出てきては死ぬし、クエスはかわいげのないキチガイ娘だし、ファースト見てない人には突然出てくる人が何だかさっぱり分からないし(まあ知らずに見るわけないのだが)、よく分からんままうやむやに解決するし、で、確かにνガンダムを始めとする機械類や戦闘は良くできているしガンダムのテーマであろう「人の革新」についてはがんばっているのだろうが、一般受けするためのエンターテイメントとしてはどうかと思った。キャラの考えや意図はつかめるんだけどいらだたせるだけなのはどうなのか。ついでに戦略的な要素がさっぱりつかみにくいのはよくない。
つーかこれ結局歴代のキャラで生き残ったのってブライトの家族のみ?何だかねえ。
SEED最終話のフレイキラは先の希望が見えるからいいんだが、アムロとシャアの結論は何も出てないんだよな、と。
シスコンだけじゃなくてマザコンとロリコンまでついた。
ファースト以上に人をむかつかせるキャラが多い上に、捨てキャラだらけかつほとんど伏線を張らない上に瞬間移動ばかりというシナリオぐだぐだ具合で、カミーユが勝手に騒ぎつつ延々と小競り合いしているだけ感を持ったのでちっともよくなかった。最後は収拾付かなくなって1勢力が残ったままほぼ全員死亡で終了。というかアクシズを出した理由が(序盤に伏線のつもりかどうか知らんがシャアの台詞に出してしまったせいもある)ZZに繋げるためとしか思えないのだが。フォウやロザミアの話は全体の構成からして何のためにやったのやら、って感じも。飛ばしても話が通じる話が多すぎるのはどうかと思う。
ゲームでは大活躍なんだがな。むしろこれをベースにしている第3次第4次のシナリオのほうがよっぽどよい。アニメはナレーションでのごまかしがすごいぞ。私ナレーションでの説明嫌いなんです。
まともな人ってブライト艦長とライラ、マウアーくらいなもの?何だジェリドってずいぶん幸運じゃないか。
モビルスーツは見た目だけは色々なデザインのが出ては来るが、能力が基本的に全機種同じ(変形して機動力を上げ、強いビームを撃つ)なのが面白くも何ともない、という感じ。変わっているのはファンネルを撃つキュベレイと紐に電気を流すハンブラビくらいのものよ。どちらもファーストにもある武器だけどなっ。ファーストはいろいろあって機体の印象が深いのだがな。ホントΖは主役級しか覚えていない。Wの怪しい機体になじんだのがいけないのかね。
シャアやカミーユの主張に全く共感を得られなかったのが好きになれない原因かもな。宇宙に行ったこともないのに人は宇宙へいけ、とか、カミーユが一般的に真実と認められているけどわざわざ強調するようなものではないこと(戦争(・A・)イクナイ!!とか)を最終回になっても繰り返し喋っていることがうざいと感じたのかも。いちいち直接喋らんでいい。ニュータイプ=マイ設定が解決策だってのはSF的にも論外である。困ったときの精神攻撃と奇跡というのも問題ありすぎ。
カミーユが初めから成長の気配が見られないというか成長先がダメなほう(戦闘エリート)に向かっているのもよくないと思うのだが。
名シーンということになっているダカール演説は、シャアの自分の生まれや知名度を利用して正統性を強調しつつ(これは権威の利用という典型的詭弁テクニック)敵失(ティターンズの悪行)が内容のほとんどという最低のでき。第4次の演説で補完されているのを先に読んだのでダメさが光る。逆らったティターンズの人だけだよ見るポイントは(でもこれが前からしょっちゅう出ているキャラならもっと説得力があっただろう。どうして捨てキャラばかり)。
はっきり言えば見るのはかなり苦痛なのでお勧めは全くできない。誰かここに注目してみると面白いとか教えてくれるとうれしいんだが今のところ受け売りおっさんしか来ず。
Endless Waltzは非常に好みであった。回想シーンがいまいちつかみづらいことを除けば、シナリオの分かりやすさ、絵の綺麗さ、演出、「人の革新」を戦争放棄を目指せる人間の精神の進歩に置き換え分かりやすくしたテーマ、と安心して見られる。そのころちょうどスパロボAをやったわけだがWの5機の異常な強さも納得かな、という感じであった。
しびれるシーン:マリーメイア軍地球降下。ゼロへの乗り込み。「俺たちはあと何人殺せばいい…?(略)ゼロは俺に何も言ってはくれない。」あ、OVAでいうと最終巻だけだ。演出と演技がよいのが娯楽映画らしさを出してていい。
リリーナ様が普通すぎるのが…っ。もっと電波を。全く出てこないのにトレーズ様の存在感があるのがすばらしい。
スパロボの戦闘音楽で前メロ無視しているのはなぜだろう?きれいなのに。
絵は綺麗なのだが主人公とヒロインが腐っているのでいらいらした。推進剤がなくても宇宙では普通に船は進んでいくよなあとか思ったり。今までと異なり戦略面を押し出した感じはよいのだが。詰が甘いのではないかと。予備がない。何段構えの戦略、とかどちらに転んでも、とかいうのがないと凄い戦略だと感心するより運がいいなと感心してしまいそうになる。ガトーの演説しながら核ミサイル、GP-03の異常な強さなどの派手なシーンを楽しむのが正しい見方か。書き込みも非常に多いことだし。Ζの伏線を後付けでがんばったかなーという感じもなくはない。普通なら「何あの水中眼鏡?」だよ?終わり方もね。
以下SEED語り。非常に長くなったので別ファイルにしました。
簡単に言えば
とりあえずまとめだけ読んでくれればいい気も
ついでにSEED DESTINY もやるぞっ。→DESTINY語り。
さらに00 もやってみる。→00語り。