ペンシルパズルの話をしよう

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ペンシルパズル(以下ペンパ)とは

さて、のっけから一般人にはなじみのない単語を出してしまった。これはニコリの登録商標であり、普通は鉛筆なりなんなりの筆記用具を使って紙の上で解くパズルのことを呼ぶ。普通の人になじみが深いのはクロスワードとかかな。

なれそめ

俺は、小さい頃から数学的なヘリクツコネマワシーものが好きだった。というか親が幼稚園の頃から「さんすう文庫」とか数学マジックや矢野健太郎とかの数学通俗書のたぐいの本をやたらと俺にくれたし、なぜか芦ヶ原氏の本まで読んでるような変なガキであった。
 そして時は流れ小学5年。祖父の家がある長野への旅行の前に近所のセブンイレブンで「クロスワードランド」という本を買った。これが恐らく初の雑誌。

クロスワードランド

クロスワードランドは白夜書房というパチンコ雑誌やエロ雑誌を(のみ?)出している会社から出てるパズル誌だ。この本には当時発明されたばかりの「お絵かきロジックパズル」が載っていた。最初なのでかなり苦労したが、できたときにはかなり感動した覚えがある。ちなみに蟻の絵だったのだがこれで何年の何月号か分かるかもしれない。これを機にますますペンパにはまることになる。

パズラー

今は亡き雑誌であるが、世界文化社から出ていた数理系ペンシルパズルの非常に多い本である。小6の頃、近所の本屋で色々と比較検討の上これを選んで、数冊買った。とにかく載っているパズルの種類が多い。しかしやたらと試行錯誤を要する問題が多く、解いているうちにストレスがたまるのがポイント。中学のうちはニコリの合間に買うこともあったのだが、すでになくなってしまったのでこれしかいうことはない。案外問題が単一解じゃなかったりするので厄介なこともあった。

お絵かきパズルその後

さて、お絵かきは結構好きであり、種種出ている雑誌を見比べて絵柄を見て検討した結果、前記の白夜書房と学研のがなかなか良さそうであった。そこで当時異常にパズルに力を入れていた学研のお絵かきばかりのっている本を買って仙台旅行をしたこともある。といっても解ききれなかったのでこの後かなりの期間持ち歩くことになるのだが、今はどこへいったか分からない。
 学研のは絵の質と問題の解きごこちがバランスよく、かなり楽しんだ記憶がある。仮定法をうまく使うと速く解けたりしてかなり解く人にやさしい。白夜書房は誤植が多かったりしてちょっとしんどいものがあった。また、問題の質というか難易度という点では世界文化社がダントツであった。ある程度仮定法が使えないと全く話にならない問題がかなりあり、マニアには受けるが一般人には受けないタイプだろう。
 また、お絵かきパズルは権利関係で相当もめた。そのため各社全然違う呼び方で呼んでいたのが思い出される。例えば、初期にできた毎日新聞社の「ののぐらむ」、どっちが先だかぎりぎりの世界文化社の「お絵かきロジック」、学研の「イラストロジック」、白夜書房の「お絵かきパズル」、相当遅れて任天堂の「ピクロス」などなど(これは俺の持っているもの)。結局、毎日が裁判に持ち込んだはずだが、日本のマスコミの常として結果は報道しないので実際どうなったのかはよく知らない。

ニコリ

日本最古のパズル誌にして最強の雑誌。こんなマイナーな雑誌を知ったのは中学時代の環境に大いによる。当時1−Bというクラスに所属していたがそこの出席番号3番にアセトニトリル(当時はペンネーム無し)のペンネームで知られる男がいた。何しろ本名にして俺と出席番号が前後するのは決まりきった相手である。しかも高1まで4年連続同じクラスというおまけつき。彼の影響かどうかは知らないが、クラス内にペンパ本や本誌を持っている人間が10指に余るほどいた。しばらくはさすらいのジャグラー(当時はペンネーム無し)と共にパズラー派だったのだが、いつの間にやら洗脳され、ニコリに手を出したくなるようになった。
 そして冬。ついに買ってしまう。最初に買った号は58号であり、へやわけの定食化(つまり毎号載るようになったということ)が行われた号である。

ニコリに手を出した後は

さて、ニコリを買ったのは下高井戸の啓文堂書店である。その後世田谷区立上北沢図書館に行き早速解きかかる。ご多分に漏れず、とりあえずスリザーリンクが簡単そうだなーとか思って解き始めるのだが、今では考えられないことに1問目に1時間もかかり、閉館時間(世田谷区は5時閉館)になってしまい、家に帰る。結局その日は解けず、次の日に学校で教わりつつ解くことにする。やはり軟弱である。

つづく

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